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石田三成と徳川家康が雌雄を決した、関ヶ原の戦い古戦場を観光する!

time 2017/03/16

石田三成と徳川家康が雌雄を決した、関ヶ原の戦い古戦場を観光する!

歴史シリーズ、しばらく続けさせて頂きます(笑)

もう2年くらい前になりますが、関ヶ原古戦場を一日かけてぐるっとめぐってきたときの様子を紹介します!

大河ドラマ「真田丸」では残念ながら少ししか描かれていませんでしたが、天下分け目の戦いになったことは間違いありません。

関ヶ原の戦いについても、詳しく知りたい方は、司馬遼太郎の歴史小説をお勧めします。タイトルはそのまんま。「関ヶ原です」

以前の記事で紹介していますので、良かったらご覧ください。

意外な事実が満載!司馬遼太郎の歴史小説「関ヶ原」で石田三成を追う

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観光拠点は関ケ原町歴史民俗資料館

関ヶ原駅に着くと、なかなかの田舎駅ということが分かります。

しかもこのときの僕は非常に無知で、豪雪地帯ということを知らずに1月に行きました。。。めっちゃ雪。。。

冬には行くのは避けてくださいね。本当に苦労します。

関ヶ原駅に着いたらまずは、関ケ原町歴史民俗資料館に行きましょう。

徒歩10分くらいで着きますが、観光の拠点になります。

ここで古戦場の全体マップがもらえます。さらにレンタサイクルもありますので、借りると非常に便利です!

資料館の営業時間が朝9時から16時までで、その時間内に返却しなければいけません。しかし、計画的に回れば一日で全体を見ることも可能です。

料金は4時間までが500円、それ以上は1000円です。4時間だと中途半端になってしまいますので、1000円で一日借りましょう。詳細は公式サイトで確認してくださいね!

桃配山~徳川家康本陣~

ここからは、僕が実際に回った順番に紹介します。古戦場は全体が坂になっていて、地図で言うと北に位置する三成の本陣があった笹尾山が一番高く、家康の本陣があった桃配山が一番低い位置になります。帰りは坂を下って早く帰ろうと考えたので、最初に家康本陣があった桃配山に行き、最後に三成本陣のあった笹尾山へ行きました。

しかし紹介されているモデルコースとはだいぶかけ離れていますので、実際にどう回るかは資料館でもらうパンフを見ながら決められるといいと思います。

下り坂に任せて自転車を滑らせていくと、そんなに時間もかからずに家康の本陣・桃配山に着きます。ここから先は全部上り坂なので、どっと冷や汗が出ますが(笑)

山と言っても、この碑がある場所まではすぐに登れます。ほんの数分です。

手前の岩が、実際に家康が腰掛けて作戦を考えていたと言う伝説のある岩だそうです。本当かどうか分かりませんが、今に伝わっていたら面白いですね!

松尾山~小早川秀秋の陣地~

自転車で西へ進み、小さな川を渡ったところにあるのが松尾山。この戦いの最大のキーマンになった、小早川秀秋が陣を張っていた場所です。

石田三成・徳川家康という性格の全く異なる二人の英雄が、知恵を絞りぬいて戦った。その勝敗を左右したのが、血筋に恵まれただけで平凡な青年だったということになります。

歴史の皮肉さを感じざるをえません。

松尾山のふもとに自転車を止めて、ここから徒歩で登ります。これが予想外でした。山道が途中からご覧のように雪まみれに・・・まさかの雪山歩行になってしまいます。

これは調べてから行けば良かったのですが、通常でもふもとから松尾山の山頂までは40分かかるそうです!僕は雪のせいで、一時間はかかりました。

桃配山と同じくらいに考えていたら、えらいタイムロスになりますので、ご注意ください。

山頂では絶景が待っていました!関ヶ原の戦場が一望できます。いい場所に陣取ったんですね~。

左手に見えているのが笹尾山、石田三成の本陣です。正面が主戦場になった場所です。ここから彼は戦況を見守りながら、どちらにつくか迷いに迷っていたのでしょう。

歴史では家康が秀秋の決断を迫るために、鉄砲をこの山に放ったというのが通説です。しかし実際に登ってみると、麓からだいぶ離れていることが分かります。鉄砲を撃たれたからといって、そこまで動揺するものでしょうか・・・?本当は大砲だったのか、はたまた鉄砲だったのに動揺するほどの臆病者だったのか・・・どちらかなのかもしれません。

鉄砲音にしても大砲音にしても、麓まで駆け下りるのにやけに時間がかかると思われます。

藤川台~大谷吉継の陣地~

松尾山を下って自転車に乗り、地図で言うと東の方へ進むと見えてきます。

少し山道になりますので、ここでも自転車を近くに止めて徒歩で登りました。15分程度で、大谷吉継の陣地に着きます。

ここからは、さっきまでいた松尾山が間近に見えました。

この場所から彼は、小早川の軍勢が裏切って、自分の部隊になだれ込んでくることを知ったのでしょう。正確には彼自身はこの時点で病気のために失明していたようなので、その様子を見た部下が彼に伝えたのでしょう。

大谷隊は、小早川の裏切りも察知していたので、予め配備していた予備兵で迎撃し、何度も小早川隊を松尾山へ押し返したそうです。しかし、松尾山の麓に布陣していたその他の味方も次々に裏切り、大谷隊は挟撃されてしいまいます。

大谷吉継は負けを悟って自害。これにより破綻した戦況が全体に及び、西軍の敗色が色濃くなっていきました。

歴史が動いた場所と言えることができるでしょう。

関ヶ原決戦地

藤川台からさらに東へ向かうと、広々とした平地が広がります。今はのどかな畑になっていますが、ここが関ヶ原の戦いの決戦地になった場所だったそうです。

見渡す限りの何もない平野です。坂にはなっていますが、主戦場になったことはよく分かります。

この近くにコンビニがあり、遅めの昼食を買いました。

笹尾山~石田三成本陣跡~

夕方、いよいよ一番行きたかった、石田三成の本陣跡へ向かいました。戦場の一番北にあり、一番高所にあります。

笹尾山の麓には、当時作られていたと思われる柵がめぐらされています。急造とはいえ、かなり堅固に作られたようです。

ここでも、麓に自転車を止めて徒歩で登りました。徒歩5分とありますが、そんなにかかりません。すぐに登りきりました。

来ました。でーんとあるのが、石田三成の陣地跡の石碑です。

山頂はかなり広くなっていて、戦いの本陣を置くにはピッタリの場所でした。主戦場にも近く、指示もとばしやすいでしょう。

展望の素晴らしいところに、詳しい陣形を紹介した案内板があります。これを見ると、誰がどこにいたかがすぐに分かります。まさにこの場所で、三成は戦況を見ながら指揮をとっていたんですね。天下分け目の大戦さに出るときの心境というものは、どんなだったのでしょうか。

この後は全て下り坂!やっと移動の労力が減ります。

徳川家康最後の陣

関ケ原町歴史民俗資料館のすぐ近くにあります。時間がなければ、自転車を返してからでも立ち寄ることができます。

ここは家康が、合戦の終盤になって体勢が決まってから、自軍の士気をさらに鼓舞するために、桃配山から前線まで本陣を押し上げてきた場所になります。

実際に行ってみると、三成本陣の笹尾山とはほとんど離れていないことが分かります。自転車で下ると、ほんの5分ほどです。桃配山からは、だいぶ離れています。

こんな近距離にまで家康は出てきていたんですね。彼の自信と覚悟がうかがえます。

まとめ

今回ご紹介したのは、関ヶ原古戦場の一部です。ほかにも小西行長、福島正則の陣など、各武将の陣地跡には旗が立っていました。色々と掲載してしまうとよく分からなくなるので、ポイントになった部分だけを掲載させてもらっています。

実際に足を運ぶと、その場所を五感で感じることができて面白いですよ!知識だけでは味わえない、色々な感動があります。興味のある方は、ぜひ行ってみてくださいね!


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プロフィール

川口進

川口進

文章が好きで、仕事しながら電子書籍作家・ブロガーとして活動中。脚本で受賞歴あり。
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